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広島地方裁判所福山支部 昭和33年(わ)70号 判決

被告人 徳永福市

明三七・四・二五生 農業

主文

被告人を懲役四月に処する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

本件公訴事実中、被告人が光本貫一、同久代と共謀の上、当選を得る目的をもつて、昭和三十三年四月十八日頃、岸本マサ方において、同人に対し、自己のため投票並びに投票とりまとめ方を依頼し、その報酬として、現金千二百円を供与したとの点につき被告人は無罪。

理由

一、罪となるべき事実

被告人は、昭和三十三年四月二十日施行の、広島県深安郡神辺町町議会議員選挙に際し、立候補して当選した者であるが、

第一、自己の選挙運動者である光本貫一及び自己の妻、徳永フミと共謀の上、当選を得る目的をもつて、同月十六日頃、同県同郡同町大字川南三百二十七番地、園生光太郎方において、自己の選挙運動者である同人に対し、自己のため投票とりまとめ方を依頼し、その報酬として現金一万円を供与し、

第二、前記光本貫一と共謀の上、当選を得る目的をもつて、

一、同月十五日頃、同県同郡同町大字川南三千百九十七番地、田中実則方において、自己の選挙運動者である同人に対し自己のため投票並びに投票とりまとめ方を依頼し、その報酬として現金千円を供与し、

二、その頃、同郡同町字湯野千八百八十一番地、神原増一方において自己の選挙運動者である同人に対し、前同趣旨のもとに現金二千円を供与し、

三、その頃同郡同町字西中条八百八十八番地、藤原栄一郎方において自己の選挙運動者である同人に対し前同趣旨のもとに現金二千円を供与し、

四、その頃同郡同町字徳田大土井シカヨ方前道路において、選挙人である椙村イワノに対し、自己のため投票方を依頼しその報酬として現金二百円を供与し、

五、その頃同郡同町大字川北甲千七百二十五番地、出原広太郎方において、自己の選挙運動者である同人に対し、自己のため投票並びに投票とりまとめ方を依頼し、その報酬として現金四千円を供与し、

六、その頃同郡同町字徳田八百三十四番地光本貫一方において自己の選挙運動者である藤井梅一に対し前同趣旨のもとに、現金六千円を供与し、

七、同月十六日頃、同郡同町同字千三十四番地の二、大土井代逸方において、自己の選挙運動者である同人に対し前同趣旨のもとに、現金六百円を供与し、

八、その頃同郡同町大字川北五百五十八番地、杉原角太郎方において自己の選挙運動者である同人に対し、前同趣旨のもとに、現金千円を供与し、

九、同月十七日頃、同郡同町同大字六百七十四番地の二杉原延次郎方において、自己の選挙運動者である同人に対し前同趣旨のもとに現金二千円を供与し、

十、その頃同郡同町字東中条六百四十九番地、藤井睦夫方において、自己の選挙運動者である同人に対し、前同趣旨のもとに、現金二千百円を供与し、

十一、その頃同郡同町字西中条千三百九十一番地藤岡義夫方において、自己の選挙運動者である同人及び同藤岡憲治の両名に対し、前同趣旨のもとに、現金二千四百円を供与し、

十二、同月十九日頃、同郡同町同字千四百三番地、平賀岸太郎方において、自己の選挙運動者である同人に対し、前同趣旨のもとに現金千円を供与し、

たものである。

一、証拠の標目〈省略〉

一、法令の適用

法律に照すと、被告人の判示各所為は、いずれも公職選挙法第二百二十一条第三項、第一項、第一号、罰金等臨時措置法第二条、刑法第六十条に該当するところ、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、同法第四十七条本文、第十条により、犯情の最も重い判示第一の罪の刑に、法定の加重をした刑期範囲内で、被告人を懲役四月に処し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用し、被告人に負担させることとする。

一、一部無罪の判断

昭和三十三年七月十八日附起訴状記載の公訴事実第二は、

「被告人は、光本貫一、同久代と共謀の上、当選を得る目的をもつて、昭和三十三年四月十八日頃、広島県深安郡神辺町字道上二千六百六番地岸本マサ方において、自己の選挙運動者である同人に対し、自己のため、投票並びに投票とりまとめ方を依頼し、その報酬として現金千二百円を供与したものである」

というにある。

そこで証拠によつて、これを審究するに、光本貫一が被告人に当選を得しめる目的をもつて右日時、その妻光本久代を、岸本マサ方に赴かせ、同女に対し、被告人のため投票並びに投票とりまとめ方を依頼させたことは関係証拠によつて明らかである。ところで、光本貫一(昭和三十三年六月十一日附)光本久代、岩本マサの検察官に対する各供述調書には、右公訴事実記載の如く、久代は前記マサ方に赴いた際、マサに金千二百円を供与手交した旨の供述記載があるに反し、右三名は当公廷においてはいずれも、右事実を否認し、これを争つているので、右三名の前記各供述調書の証拠価値について以下検討を加える。

一、(イ) 前記の如く、光本貫一は、光本久代が、岸本マサに問題の金員を手交したか否かを、現場に於て、目撃したものではないのである。この点につき、久代の前記供述調書には、同人の供述として「主人(貫一)は、私に、道の上の岸本え行つたところ、岸本のおとうさん(岸本徳三郎)が二票はあげるから早く帰つてくれ、ほかにも四票位あるから(借りた)糯米を返しに行くとき様子をすると言つたが、一向に来てくれんから、明日の朝千二百円程岸本え持つて行つてくれんか、ついでに道の上の松畑え寄つてあそこにも票を頼んであるから八百円持つて行つて頼んでくれ、といわれた」との記載があり、次いで、久代がその翌日、マサ方に赴き、マサに本件の千二百円を供与手交し、その帰途、松畑方に立寄り、家人に金員を供与しようとしたが、拒絶されたため、そのまま帰宅した旨の供述記載があるところ、右顛末については「その晩九時頃、寝床で主人(貫一)が私に、岸本や松畑に行つてくれたかと問われたので、只今申したような状況を寝物語りで主人に話した」旨の記載がある。ところが久代はこの点につき、当公廷においては「その晩に主人から問われたのです。私の主人は、かんしやく持ちですから、私が金を渡してないと言うとかんしやくを起してはいけないと思つて、主人が私に、岸本方えはどうしたかと言うたときに、私はただ、へ、へ、へ、へと言うたんです。松畑方えは、金を渡さなかつたと主人に言いました」と述べ、そのように言つても主人は怒らなかつたかとの問に対して「はい。私がへ、へ、へ、へと言つたので、主人は私が岸本方え金を渡したと思つたのでせう」と証言している。

久代が当公廷で述べている如く真実、マサが金員の受領を拒絶したのであれば久代が窮余の策として、ただへ、へ、へ、へと返答してその場をつくろうことは貫一から依頼を受けた前記の経緯に照し充分考えられることであるし、又貫一が久代の右返答を、久代がマサに対して金員を手交したものと速断することもあり得べき事である。以上の事実は、本件の証拠並びに本件審理を通じて看取される貫一の気性、性格、理解力に徴し、優に首肯し得るところである。したがつて貫一は検察官に対し、久代から同人がマサに対し、千二百円を渡して帰つた旨聞いたと述べているけれども(貫一の検察官に対する前記供述調書第四項)、果して久代がそのように明言したのかどうか、疑問の余地が存するのである。

(ロ) 久代の当公廷における供述によると、同人は当初警察官に対しても前記検察官に対すると同様の供述をしていることが認められるが警察官、検察官に対し、かかる供述をするに至つた動機原因につき、同人は、当公廷において「警察の人が主人(貫一)は、久代が岸本え、金を持つて行つて渡したと言つていると言うので、それならしようがありません。金を持つて行つて渡したと言いました。検察庁でも主人が留置場え入れられているので、主人を早く帰してもらおうと思つてそう言つた」旨供述している。

そして本件捜査の端緒が光本久代もしくは岸本マサの自供によると認められる証拠はなく、むしろ、光本貫一の供述にその端を発しているものと認められるのである。警察官新屋栄一も、当公廷でその旨供述しているのである。

そうすると、久代の右供述も信用性なきものとして無下に排斥し得ないのである。

(ハ) 貫一の前記供述調書によると貫一は、検察官に対し、久代がマサに供与せんとした金員の出所について「岸本マサに渡す六票分千二百円と松畑に渡す四票分の八百円合計二千円を千円札一枚と百円札十枚で久代に渡しました」と述べているのであるが、久代の前記供述調書には、同人の供述として「その翌日朝九時頃に私の持つていた小使を二千円余りと闇籠(糯米を貰つて帰るための)を持つて岸本さん方に行つた」との記載があるのである。

思うに本件の如き選挙の買収事犯において金員の出所は重要な事柄であるから、関係当事者としては、右金員の出所については正確に記憶しているのが通常であろう。(貫一及び久代の前記供述は、本件日時より二、三ヶ月後になされているにすぎない)したがつて、前記の如く、両者間のこの点に関する供述に矛盾、くいちがいがあることは、異例に属し、いずれの供述に信を措くかは別としても、特段の事由のない限り他方の供述は、不自然であり供述者において作為的に虚偽の供述をしたのではないかと考えなければならない。そしてかかる疑問の箇所の存する以上、右事実は前記供述調書自体の証拠価値を評価するについても、これを無視するわけにはゆかないのである。

二、マサの検察官に対する供述調書には、マサが久代から本件金員の供与を受けたこと並びに右金員は、生活費及び交通費に全部費消した旨の供述記載があるけれども、同人は、当公廷において、検察官は勿論、これに先立ち警察官に対しても右の如き供述をするに至つた動機については「この件で、主人徳三郎は、朝から警察え呼ばれていた。私もその日、午後四時頃、警察え呼出された、私は受取つていないと言つても久代はやつたと言うていると言われた。私が久代に会わしてくれと頼んでも会わすわけにはゆかないといつて、会わせてくれなかつた。私はお金を貰つたと言わんと、主人が帰れんと思い、主人を帰してもらおうと思つて、貰つたと述べた。そして主人と一緒に帰らして貰つた。主人が前言つたことをよう憶えていて、前言つたように言わんといけん、相手は警察の方だからと言うので、検察庁でも警察と同じように述べた」と供述している。

ところで、マサの取調に立会つた警察官新屋栄一は、当公廷において、マサの取調の模様につき「マサは最初は、お金を受取つた事実を否認していたが、私がよく考えてごらんなさい、相手のあることですし、相手がお金をやつたと言つているのですから、どうしても判ることですから、正直に言つて下さい。と言いますと、実は具合の悪いことがあるんですと言つて、お金を貰つたということを言われたのです。取調警察官深田耕平もマサに対し『久代さんの方はあんたのところえ、お金を持つて行つたと言うとるんだが、どうですか』と質問した」旨供述している。

そうするとマサの前記供述も、一概に単なる弁解として見捨てる訳にもゆかないものを含んでいるものといわなければならない。

三、(イ) マサは、当公廷において、「私は警察で調べられて後、貫一宅に赴き、久代に私はお金を受取つていないのに、あなたはどうして渡したと言つたのかと同人を難詰したところ、久代は、済まんと思うたが、お父さん(貫一)に早く帰つてもらおうと思つて私があげたと言つた。まあこらえて下さいと謝罪した」旨供述し、久代も当公廷においてこれと同趣旨の供述をしている。

(ロ) 被告人は本件審理の当初において、光本貫一との共謀の事実を否認し、公訴事実を全面的に否定する態度に出ていたが、昭和三十四年四月九日(皇太子殿下御成婚式前日)第十六回公判期日において突如、貫一との共謀事実を認めるに至り同日弁護人から、既に公訴事実を否定する証言をした光本貫一、岸本マサ、光本久代他三名の在廷証人の申請があり、右貫一、マサ、久代以外の三証人は従前の証言を覆し、公訴事実を認める旨の供述をするに至つたが、貫一、マサ、久代の三名は本件につき、従前通りの証言を固執していることが、本件記録に徴し明らかである。

以上の事実に久代、マサの両名が警察、検察庁で取調べられたのは、本件が始めてであること、両名の性別、年令その他右両名及び貫一の当公廷における供述内容、供述の態度等を綜合、考察すると、同人等は警察官、検察官に対し、虚偽の供述をしたのではないかとの疑が濃厚であり、したがつて、これら三名の検察官に対する前記供述調書は、その信憑力に乏しく、これを前記公訴事実につき被告人を有罪とする資料に採用することは躊躇せざるを得ない。

なるほどマサは、本件金員の供与を受けたことの理由により略式命令を受け、罰金六千円の刑が確定していることが認められるけれども、略式命令に不服があつても必ずしも正式裁判の請求をするとは限らないから、右一事を以ては、前記結論を左右するに足りない。

而して、右三名の前記供述調書を除いては、前記公訴事実を認めるに足る証拠はない。結局前記公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三百三十六条により、右公訴事実については、被告人に対し、無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 村上明雄)

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